基本情報
プロフィール
名前
藤村 昌隆(ふじむら まさたか)
生年月日
昭和50年8月28日(48歳)
出身地
大阪市 東住吉区
出身校
- 西大和学園高等学校卒
- 神戸大学法学部卒
家族構成
妻・長男(6歳)
現役職
- 公明党大阪府議会議員団 副幹事長
- 公明党 青年委員会 次長
- 公明党大阪府本部 広報戦略局 局長
- 公明党大阪府本部 青年委員会 顧問
- 公明党平野支部 支部長
モットー | 誠実と行動の人たれ |
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好きな言葉 | 「希望こそ私の秘密兵器」 (ノーマン・カズンズ) |
心に残る一書 | 「三国志」 |
血液型 | A型 |
略歴
- 阪神淡路大震災が発生した年に神戸大学に。
当時の失政に怒り、「神戸大学震災復興NET」を創設。
震災復興と教訓を語り継ごうと奔走したことが政治の原点。 - 大学卒業後、一般企業を経て「公明党大阪市会議員団」に7年半にわたり勤務。「政策力」磨く。
- 平成23年4月 大阪府議会議員に35歳で初当選
- 平成27年4月 大阪府議会議員に2期連続当選
- 平成31年4月 大阪府議会議員に3期連続当選
- 令和 5年4月 大阪府議会議員に4期連続当選
学生時代
”震災から学び、行動した大学時代”
東住吉区で生まれ、3歳から八尾市に。社会人となってから平野区へ。庶民のまち大阪で育ちました。
八尾市立美園小学校、久宝寺中学校、私立西大和学園高等学校を卒業後、阪神大震災直後に神戸大学法学部に入学。
在学中に、「神戸大学震災復興NET」を創設。復興支援とともに「震災を忘れない」をテーマにした、数多くのシンポジウム等を開催。活動が新聞各紙に掲載される等、多くの反響が寄せられました。
また、震災時の失政に激しい怒りを感じ、「青年が政治を監視せねば」と、政治に強い関心を抱くようになりました。
”現場の声を政策に実現するために奮闘”
大学卒業後、平成15年から「公明党大阪市会議員団事務局」に勤務し、政策立案等で議員のサポート役として活躍。
大阪市会では、子どもの医療費助成の拡充や乳がん・子宮頸がん検診の充実、景気・経済対策など各分野で奮闘。
特に、障がいのある子を持つ親たちが設立した「障がいのある子の未来を考える会」との交流を通じ、発達障がい者(児)施策の充実等、現場発の政策づくりも尽力しました。
障がいのある子の未来を考える会 代表広崎美輪さん
藤村さんが公認されたと聞いた時、思わず親の会のメンバーから拍手が沸き上がりました。
発達障がいの事をいつも一緒に学んで頂き、その上、書類作成から写真撮影に至るまで本当にお世話になりました。
子ども達の未来の為に奮闘し活躍されることを心から願っています!
政治家として
平成23年4月、皆様からの真心からのご支援をいただき、大阪府議会議員に35歳で初当選。平成27年4月には2期連続当選を果たしました。
この間、東日本大震災をはじめ近年の度重なる自然災害に対し、「災害派遣福祉チーム」や「災害派遣心のケアチーム」などの新たな災害対策を実現。「危険ドラッグ規制条例」の制定や「LINEを活用したいじめ相談」の創設、小児救急電話相談(#8000)の拡充、横断歩道の設置など平野区での安心安全のまちづくりなど、持ち前の政策実現力を存分に発揮し、現場目線の実績を実現してまいりました。
藤村昌隆はこれからも大好きな大阪・平野区の皆様の暮らしを守り、希望あふれる未来を創るために全身全霊を捧げてまいります。
参議院議員石川博崇氏
藤村まさたかさんは、情熱あふれる行動と現場の声を政策につなげる知性をあわせ持つ人物です。
特に2期目は党府本部青年局長として、大阪の若者に徹して寄り添い、ブラック企業対策や婚活・結婚支援の充実、不妊治療へのサポート強化など、若者の切実な声を実現。まさに青年リーダーとして存分に活躍されました。
また、私と藤村さんは、危険ドラッグ対策や小児救急電話相談(#8000)の拡充、大阪働き方改革推進会議の設置など、公明党らしい実績を一緒になって実現してまいりました。
大阪・平野の発展には、藤村さんは欠かせません。皆様からの力強い応援を心よりお願いい申し上げます。